未来が見えてきた話

今日はカウンセリングの3回目でした。

最初に持ち込んだ相談内容とは全然違うことを話して帰ってきました。

カウンセリングに行くきっかけになったことを話そうと思うとすごく昔から遡らなければならないので今回は割愛します。

いつか自分の中で整理がついたらまとめてみよう。

 

以下今日話した内容です。

 

「自分の苦しさがどこからくるのか」についての暫定的な答えは、

「自分を過信しているせいで今できることを正しく評価できていない」ってことになるのかなあと。

自分はもっとできる、こんなはずじゃないって思っているから、今できることを見逃していたり、あるいは周りから評価をもらっていたとしてもまったく受け入れられずにそのギャップに苦しんでいました。

とりあえず今はこれまでがんばってきた(と他人から評価してもらった)ことについては自分で認めてあげようという気持ちになっています。

気持ちになっただけでまだ自分の評価と他人の評価のギャップが大きくて苦しいのですが(自己評価<<<<他者評価なので余計)、長期的に見て自分を認めてあげられる人間になれたらいいなと思います。

 

認める気持ちになったのはいいんだけど、そうすると今度は「自分で思ってた以上に無能な自分」が浮かび上がってきてしまいました。

こんな無能ではもう研究やっていけない(始めたばっかりなのに)…就職もできない(してないのに)…中退しょ…と思考が飛躍し、その日のうちにほんとうに既卒就活サービスに電話していました。

結局すぐに助教の先生に相談することができて、自分にあったペースでやっていいんだということを言っていただけたことでなんとか修士号は取ろうかなというところで落ち着いています。

 

すごく頑張っている人たちばっかりの環境だから、体力的にも性格的にも「努力」とか「がんばり」とは無縁の人間としては肩身が狭いというか(狭くて当然なんですが)、居づらさみたいなものを感じていました。

マジョリティに合わせようとして無理したこともあったけど、そうじゃなくていいのかもしれないですね。

 

そういえば最初に悩んでいたことに関連して勧められた本*1にこんなことが書いてありました。

額縁に合わせて絵を選ぶことなどありません。絵に合わせて額縁を選ぶのです。私たちはその額縁を、自分で選んでいいのです。

この本は見た目の美醜に関わる生き辛さみたいなものを解消していこうという内容なので、額縁というのは服、メイク等「自分を構成するもの」のことを指しています。

私にとっては研究とか仕事のやりかたも額縁なのかなと思いました。

*1:「女の子よ銃を取れ」 雨宮まみ Amazon CAPTCHA